2006年11月24日

全てを知っておられる方

こんばんは。
日付が変わってしまいました >_< 。
まぁ気にせず更新します。

今日は教会のキリスト入門講座なるものに出てきました。
9 月の終わりぐらいから参加し始めた気がします(正確に覚えてないや)。
入門講座なのですが・・・、難しい!
なんで入門って難しいんですかね?
バイブルクラスより難しいぞ・・・。

今日は詩編の中からの話でした。
神様は私達の全てを知っておられるという内容でした。
まぁ、全知全能の神ですからそれが当然なのはわかってますが・・・。
しかも、その神様は自分では気づいていない自分、気づきたくない自分、気づいてはいけない自分すらも知っておられるというのです。
正直、怖いなぁと思いました。
自分を自分以上に知っている存在がいるというのは恐怖の対象でしかないと思うのですが、いかがでしょうか?
しかし、牧師はその存在は怖いけれども、同時に安心もできるというのです・・・。
どうして、安心できるのでしょうか・・・?
よくわかりません。
自分の答えの1つとしては、すべてを知ってなお、あなたを愛しているという神の言葉があるからでしょうか。
やっぱりよくわかりません。
いつか、実感できるときがくるのかな?
あせらず待ちます。

今年の春に、言われました。
「君は考えることを放棄していない?」
と(正確には違いますが・・・)。
中学、高校、大学と生活してきて、上から与えられたことをただこなすだけの日々になっていたのでしょう。
大学に入ってから特に考えなくなってきたように思えます。
宿題をしたり、問題を解いたりはしてきました。
でも、それをなぜやるのか、自分には今何が必要なのか、考えることを放棄していた気がします。
それを直そうとして考えるようにしてきました。
まぁ、うまくいっているのかはわからないんですがね・・・。
それでも、春から見れば良くなってきたほうではないでしょうか。
わかりませんが・・・。
posted by まこまこ at 01:02| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

気になること

ここ最近、気になることがあるのです。
悩みについてではないんですが、ここ最近気になったことを書きます。

昨日書いたように、悩みを抱えています。
それはもういいんです。
なぜよいかは昨日の部分を読んでください。
で、きっと同じように悩みを抱えている人って自分の周りにも大勢いると思います。
そんな人たちを見て何かしたいと思っても、何もできない自分がいます。
僕にできるのは、その人の悩みや不安が早く解決するよう祈ることだと思っていました。
ですから、毎日のようにこう祈ったのです。

「神様、苦しみや悩みの中にいる友達(自分)の悩みが早く解決しますように。」
「神様、病気の友達や怪我をしている友達(自分)が早くよくなりますように。」

と。
でも、ここ最近本当にその祈りは正しいのか不安になってきました。

誰かのために祈ること、これは間違っていないと思います。
でも、"早く" 解決したり、"早く" 良くなることが良いのかが、わからなくなってきたのです。

神様のなさる事 1 つ 1 つにはそれが起こるのに相応しい時があると思うんです。
コヘレトの言葉をかりるなら、すべてのことには時があると思うんです。

悩みの中に入れられる時、悩みの中から救い出される時。
病気になるとき、病気が癒されるとき。
怪我をするとき、怪我が治るとき。

救い出されるとき、癒されるとき、治るときは、あらかじめ神様によって決められており、それはすべて最善のタイミングで起こると思います。
そのタイミングを自分の祈りで、神様に変えてもらってもよいものかと思い始めました。
これは自分に対しての祈りの場合にも置き換えることができます。
友達が笑顔になることはうれしいことです。
でも、自分の思いで神様の計画を動かしてよいのかと気になっています。
神様の計画がその祈りで本当に動くのかはわかりませんが・・・。
祈ることすらも、その計画の中に入っているのかもしれません。
でも、気になってしまうのです。

きっと別の祈り方があるのかもしれません。
苦難は必ずあるものです。
でも、それは全て意味のあることです。
だから、苦難を取り除くことが必ずしも良いとは思いません。(良いときもあると思います)

全ては主の御心のままになるのでしょう。

誰かのためにできること。
それは、祈ることしかないという気持ちは変わりません。
しかし、その祈りが自己満足なものにならないよう心がけることが、大切なのかもしれません。
posted by まこまこ at 22:59| ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

私があなたのために祈った

タイトルは今日の主日礼拝の説教題です.
ここの所,いくつかの悩みというか不安を抱えています.
今日の説教を聴いて,その苦しみが少し緩和された気がします.
問題が解決したわけではないんですけどね.
今日の話をとってもと〜っても簡単に要約すると,
「苦しみや試練は必ず来る.それは避けることができない.
しかし,それによって倒れきって起き上がれなくなることは無い.
それは,イエス様が私がそうならないように祈っていてくださるから.」
ってことでした(もしかしたら,違うかも.主観入りまくりです).
今抱えている悩み.
不安で押しつぶされそうになる毎日.
しかし,決して立ち上がれなくなることは無い.
それはイエス様が祈っていて下さるから.
問題が解決されたわけではないけど,歩いていくことができる.
挑戦してみよう,乗り越えてみようと思うことができるようになった.
本当に,苦しいときには神様は応えてくださる方なのだと今日の説教を通して改めて教えられた.
明日から,またがんばってみようと思う.
posted by まこまこ at 19:28| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月12日

生きた証

こんばんは。
昨日から尋常じゃない寒さになりましたね。
寒くて死にそうです・・・。

今日は礼拝後に去年なくなられたある教会員の方の1周期の記念式典があり、参加させていただきました。
正直、自分はここにいていいのだろうかとずっと考えていました。
その方とは昨年のお正月に青年会の新年会でご一緒させていただいただけで、それ以降ほとんど接点がありませんでした。
それだけのつながりなのにこんな式典に参加させていただいていいのかとずっと考えていました。
参加している間もずっと出るんじゃなかったかなぁと考えていました。

式に参加させていただいてあることがずっと引っかかっていました。
それは自分が死んだときに自分のために泣いてくれる人っているのかな?ということです。
その方はご家族の方、親族の方、また多くの友人方、また教会の家族がたくさんいらっしゃいました。
それぞれが楽しそうにその方との思い出を語っているのをみて、良いなと感じました。
自分が死んだときに泣いてくれる人がいる。
自分のことを覚えていてくれる人がいる。
これが自分の生きた証なのかなと感じたのです。
自分が生きていたことなんて、歴史に残るような事でもしない限り証明することはできないでしょう。
ある国のある町に、こんな人がいたとすら語り継がれないかもしれません。
自分が生きてきた証をどうやったら残せるのか・・・。
それは、やはり自分のことを覚えていてくれる人がいることではないかと思いました。
一人でもかまわないから自分が生きていたことを自分がいたことを思ってくれる人がいたなら、自分が存在した意味が見出せるような気がするのです。
posted by まこまこ at 23:04| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月11日

クリスチャンってどんな人?

カテゴリを教会から信仰生活に変更しました。
教会って結構難しいカテゴリだと気づいたので・・・。

今日はネタもないので、昨日気になったことでも書きます。
ここから先はあくまでも、僕個人の見解です。
おかしい部分も多々あるかと思いますが、こんな意見もある、程度に捉えていただけると幸いです。

昨日の賛美集会である後輩が今年のクリスマスに洗礼を受けると告白してくれました。
とても、うれしいことです。
一人でも多くの人が神様につながってほしいと思います。
でも、若者は教会でめいいっぱい使われるよ?(笑)
がんばれ!!

で、書きたいことはどんな人がクリスチャンになるのか、という話です。
彼は、洗礼を受けたいとある時思いはじめました。
けれども、こんな自分がクリスチャンになっていいのかわからず迷っていたそうです。
僕のある言葉のおかげで導かれたとか・・・。
いや〜、お恥ずかしい限りです・・・あせあせ(飛び散る汗)
前期に洗礼についてのバイブルクラスをしました。
昨日言われるまですっかり忘れていたんですが、どうも僕がそのとき、
「洗礼は出発点に過ぎない」
なんて、えらそうなことをのたまったそうです(笑)。
でも、今もその思いは変わりません。
同じ学年のある人もクリスチャンになる資格のようなものについて悩んでいたという証しを聞いたことがあります(確か・・・)。
クリスチャンになる資格って何でしょうか?
聖人君子のような人しかなれないのでしょうか?

僕は小学校 6 年生の時に洗礼を受けました。
小学校の時だったので、あまりちゃんと考えずに洗礼を受けた気がします。
受けるまでに準備会という勉強会があったのですが、まったく覚えてません・・・。
自分が聖人君子だったかというと、まぁほぼ正反対の位置にいたんじゃないですかね。
不良とまではいかないにしても、いろいろ親を困らせるようないたずらもしましたし、嘘をついて母親になかれたこともありました。
そんな自分がなぜ洗礼を受けたのかというと、ただイエス様を信じたい、信じてみようと思ったからです。
何でそう思ったのか思い出せないんですがね・・・。
ただ、それだけの理由で洗礼を受けました。

では、洗礼を受けた後は聖人君子のようになったのかというとまったくそんなことはありません。
中学に入るときに親の仕事の都合で引越しすることになり、それ以降教会らしい教会には行ってません。
はじめの頃は新しく教会を作ろうとしていたのですが、人が思うように集まらず途中から家族で礼拝を守るようになりました。
父が牧師なので、話をする人はいるためそれで足りていたのです。
ですから、僕の(厳密な意味での)教会生活は小学校で終わっています (今はまたちゃんと通ってるよ!!)。
今の CS もその頃の記憶を引っ張り出しながらやっているわけです。
家庭礼拝ですが、基本的には参加していました。
聖書の話は嫌いではなかったし、もはや日常となっていたので礼拝には参加していました。
眠くてサボることも多々ありましたが・・・。
日曜日が終わればそこで、キリスト教との関わりは自分の中では終わりでした。
具体的なつながりは、食前の感謝の祈りくらいでしょうか・・・。
聖書を開くことも、賛美することも、祈ることもありませんでした。
学校が、ミッションスクールだったので、学校にいるときに礼拝をすることもありましたが、今の大学礼拝を思えば、中学・高校の礼拝は学校の自己満足ですね。
聖書の話がめったに出てこなかった気がします。

僕がきちんと信仰生活を歩むようになったのは 去年の春からでしょうか。
それは CS のお手伝いをさせてもらうようになってからですね。
きちんと説教を聴くようになったのは 去年の夏ですね。
その辺りの話はまた今度、暇なときに覚えていれば書きます。

つまり、クリスチャンになってから、礼拝に毎週出席するようになるまで、なんと 8 年も空きがあるのです。
親とキリスト教の話をするようになったのもここ1・2年です。

僕にとって、洗礼は出発点に過ぎないということは自分の人生を振り返ればおのずとわかることだったのです。
クリスチャンになった後でさえ、不真面目な信仰生活をおくってきました。
そんな人がいるから、怖がることはないというのも変な話ですが、聖書を見ていても、イエス様に従った人が聖人君子のような人たちばっかりでは決してないことがわかると思います。
イエス様に助けを求めてきて、信じて帰る人たちはみな、罪びとであったり、穢れた者、嫌われている人たちばっかりでした。

自分がクリスチャンになっていいのか?
自分がクリスチャンでいいのか?
その問いは一生続くでしょう。
時には、答えに出会うかもしれません。
でも、時にはその答えに自信をもてなくなるかもしれません。
それでいいんじゃないかなと思います。
だって、その問いがなければ自分を磨くことがなくなるのですから。

"医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招いて悔い改めさせるためである。"
ルカによる福音書 5:31,32
posted by まこまこ at 17:12| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月28日

賛美

今日は気分が乗っているので,もう1本書きます.
カテゴリと内容が微妙に違うのはご愛嬌ということで.
教会に限った話ではないです.

ここの所,気がつくと讃美歌やゴスペルを口ずさんでいます.
学園祭に向けて練習をしているというのが主たる理由なのでしょうが,本当に気がつくと歌ってます.
後輩の男子ズが急に歌を大声で歌いだしたり,カラオケカラオケって言い続けているのも,なんとなく理由がわかる気がします.
人間が生まれながらにして持っている歌うという能力.
すばらしいですよね.
全世界に何十万もミュージシャンがいるのもうなずけます.

僕は考えてみると,昔から歌を歌うのは好きだった気がします.
記憶をたどってみると,最初に歌を意識したのは,小学校3年生のときかな?
2つ離れた兄(学年は1つ)が,小学校の合唱団(?)に入ると言い出したので,一緒に入ったのが最初でしょうか.
兄は卒業ぐらいまでやってた様な気がしますが,僕は2年くらいでやめた気がします.
練習がめんどくさくなってしまって.
練習が朝だったというのが一番の欠点です.
別に起きれなかった訳じゃないですよ?(笑)
友達が朝早くから校庭で遊んでいたので,練習がめんどくさくなり,途中でやめてしまいました.
でも,歌が嫌いになったわけでは無いので,相変わらず歌うことは好きでした.
でも,この頃は音楽の教科書に載っている歌ばっかりでしたね.
テレビで音楽番組はまったく見てなかったので,アニソン(笑)か CM の歌くらいしか知りませんでした.
j-pop に目覚めるのは中学からです.

教会では子供さんび歌とふくいん子どもさんびかを歌ってました.
父親が讃美歌ではなく聖歌な人だったのでずっと聖歌を使っていました.
現在も実家の教会は新聖歌を使ってます.
聖歌は主にカソリック,讃美歌はプロテスタントで広く使われていると知ったのは,ミッションスクールの中学校に入ってからでした.

そして,いわゆるゴスペルと呼ばれる曲を歌う様になったのは,大学に入ってからですね.
現在の団体に入ると,歌集と呼ばれるものがありました.
その中には100曲近いゴスペルソングが入っているではないですか!!
しかも,先輩たちはとても楽しそうに歌っているんです.
自分が知っている曲は1曲位だったでしょうか.
しかもその曲も小学校のときの教会の青年会の人たちが歌っていたような曲でした.
しかも,その団体では,今はなくなってしまったのですが,夏の合宿で自分たちで新しいゴスペルを作ろうなんて人たちまでいて・・・.
正直,びっくりしました.

そもそも,ゴスペルというものが良くわからなく,教会でも聖歌ないし新聖歌しか歌ったことが無かったので,戸惑いましたが,もともと歌が好きだったのと,歌詞のよさ,曲のよさに惹かれ,どんどん好きになっていきました.
そして,今に至るわけですが,いつからかなぁ,こんなに口ずさむようになったのは.
この前なんて夜寝付けなかったので,ベットの中で思いつくままに歌ってました(笑).
ネットで検索かけたらこんなページ見つけました.
よかったら聞いてみてください.
posted by まこまこ at 00:42| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月19日

修養会

教会の修養会に日,月と行ってきました.
場所は箱根です.(正確に言うと箱根でなく静岡なのだが・・・)
もともとは,行く予定ではなかったんですよね〜.
お金ないし,時間も無かったので.
だって今年の夏はキャンプのみで 7 万程度出ていったので.
一人暮らしをさせてもらっている身としては辛い訳です.
で,修養会ですが,う〜む,まぁまぁ良かったと思います.
ちょっと聞きっぱなしになっているのが残念.
普段,講演を聞いた後は分団で話をするので,それが無かったのはちょっと残念です.
今回のテーマは”賛美”でした.
賛美するって事をあまり深く考えずに賛美か歌ったり,ゴスペル歌ってるのでそれを見つめ直すいい機会になったかな?
講演会のなかで讃美歌の定義という箇所があって,
その中には,
「讃美歌とは,賛美であること,神への賛美であること,そしてそれらが歌われることである」
と書いてあった.
讃美歌は歌われないと讃美歌として成り立たないんだなぁ〜と思わされた.
自分は讃美歌も聖歌もほとんど知らない 1/10 も知っているかなぁというかんじ.
もっといっぱい歌わなきゃと思わされました.
この修養会で思わされた一番の疑問は,キリスト教は霊(幽霊)をどう捉えるのか?ということだった.
参加者の中に霊が見える,霊を感じるという人がいた.
その人はクリスチャンではない.
でも,うそをつくような人でもない.
そもそも,この人にそんなうそをつくメリットが無い.
自分は幽霊なんていないと信じている.
でも,その人にはそれが見えるという.
自分には幽霊は見えない.
だからといって見えるという人にそんなものはいないと言い切ることも出来ない.
だって,見えないから居ないなんていえないでしょ?
それで,キリスト教は幽霊をどう捉えるのかな〜って思った.
結論としては,幽霊は悪霊(あくれい,あくりょうではないよ)であるということに.
親に聞いちゃいました(笑).
調べても出てこなかったので.
もう少し書きたいけど,眠いのでここまでとします.
気が向いたら追記します.


ここから追記.
悪霊は簡単に言うなら天使の悪魔版でしょうか.
悪魔の使いとして働く存在のことです.
聖書の中にもたびたび登場しますね.
posted by まこまこ at 23:59| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

忙しい日曜日

今日も忙しい一日でした.
ここの所下手な平日よりも,日曜日のほうが忙しくて大変です.
忙しくない日曜日はいつから経験してないかなぁ・・・.
たぶん5月とかそこらへんです.
こんなに忙しい日曜日を経験するのは現在通ってる教会が初ですね.
実家の教会ではほとんどお手伝いしてこなかったし,今もしてません(笑).
お手伝いってコンスタントに出席してないと難しいと思うんですよ.
時々,行って何かをする.
それも,いいとは思うんですが,僕には無理そうです.
実家に帰るとだらけるんで・・・(笑).
今通ってる教会はコンスタントに通ってるんでお手伝いが可能です.
教会にいる人と仲良くなるには,教会のお手伝いをするのが一番なんだなぁと最近気づきました.
去年から教会のあっちこっち(最初はCSと青年会)でお手伝いをはじめたのですが,そうすると教会の人に話しかけられるんですよ.
それに名前を覚えてくれている人もいるし.
まぁ僕はその人の名前を知らないし,覚えられていないんですけどね(笑).
あぁ,自分のことを見てくれている人がいるんだなぁって感じさせられます.
自分のやっていることを見てくれている人がいて,そして中にはその大変さをわかってくれる人がいるということがわかると,自分のやっていることは無駄じゃないんだなぁと思わされます.
本当にうれしいことです.
でも,悪いことはできなさそうです(笑).
posted by まこまこ at 21:20| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 信仰生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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